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卒論提出にあたって私はどう生きようと思うか

近況報告

本日2月7日、私は卒業論文を提出し、無事に受理されました。 発表や学位審査をまだ控えていますが、とりあえず一段落といった感じです。

昨年の10月下旬から3ヶ月少々メールやLINEなど軒並み連絡を絶っており、関係者各位におかれましては心配した方もしなかった方もいるかもしれませんが、私は生きています。

物理的に何かあったというわけではなく精神的な問題を抱え、自分の人生をどう生きるかという悩みに答えを出せずに、何も手を付けることができないという状態でした。

3ヶ月間何をしていたか

11月末までは、読書50%ゲーム50%ぐらいの時間配分で過ごしていました。 悩みの答えを求めて読書をして、読むのに疲れたらゲームで現実逃避をする、というパターンを繰り返していました。

12月に入ってからは、このままでは卒業が危ういという危機感から研究室には復帰し、卒論を進めていました。

しかし、悩みに対してある程度明確な答えを出せたのは12月の中旬になってからでした。 また、絶っていた連絡を再び取り戻そうするのにもしばらく時間がかかりました。

人生をどう生きるかという悩み

私の頭の中のどこかに必ず潜んでいる悩みが、人生をどう生きるかという悩みです。 なぜこのことについて悩むようになったかはよくわかりませんが、初めに悩むようになったのは高校2年の頃です。 普段は悩みについてほんの薄っすら考えている程度でしかありませんが、ふとした拍子に思考の中に悩みの占める割合が大きくなると、 悩みのせいで何も手を付けられず身動きが取れなくなってしまうことがあります。

何も手を付けられないほど思い悩んだことは、今回を含めると3回あります。

1回目は、高校2年の時です。 高校2年の終わりが近づくに連れて、1年後に迫る大学受験の危機感から、「偏差値の高い大学に行けばなんとかなるだろし、そうしなければならない」と思考を停止させて受験勉強に逃げ込み、悩みを先送りにするというその場しのぎの対処しかできませんでした。

2回目は、大学入学の1年後くらいです。 受験という悩みの先送り要因がなくなってしまったため、当然その悩みは立ち現れました。 入学直後は新たな大学生活に目を奪われていたため、悩みは大きくなかったものの、半年もするとしだいに悩みが大きくなり、1年後には大学生活に支障をきたすまで思い悩むようになっていました。 一人で思い悩むだけでは解決しないと思い、いろいろなことに手を出してはみたものの中途半端に終わったり失敗したりする、ということを繰り返したことを覚えています。

その過程で、自分が楽しめることをして生きる、という生き方が私にとっては一番良いのではないかと思い至りました。 自分が楽しめないことをしていても、いずれ耐えられなくなり精神的に病んでしまうということを、経験則として学んだからです。

いずれ考えを改める可能性もあるかもしれないが、ひとまずは「楽しめることをして生きる」という生き方を暫定的に掲げて生きていこうと思いました。 いろいろ手を出した中でプログラミングは楽しめたので、将来的にIT技術者として生計を立てることを念頭に置き、情報系の学科に進学したり、プログラマのアルバイトをしたりと、自分で進路を決めてきました。

プログラミングは本当に楽しかったのか

進学した学科では、電気の講義には苦しめられたものの、情報の講義はとても楽しく、概ね満足していたのだが、ここに来て3回目の悩みが生まれました。

プログラミングは確かに楽しい。しかし、プログラミングが楽しいと、他人に向かって言える自信を持てなくなってきていたのです。

なぜかというと、プログラミングが上達するにつれて、すごい人のすごさを実感できる機会がしだいに増えていき、プログラミングの実力やプログラミングに対する情熱を自分と比較して勝手に落ち込んでしまうのです。 実力という点では、ネットを見ていると、働いている年上の人はもちろん、同世代や下の世代の人でも、いろいろなプロダクトやサービスを作っているという人がたくさん見受けられます。 情熱という意味でも、寝食を除いて起きている時間は呼吸をするようにプログラミングをしている人もいるらしいし、そういう人たちに対して私もプログラミングが楽しいと胸を張って言えるかというと、言える自信はないとどうしても思ってしまうのです。

それに加えて、プログラミングの対象に、時間を忘れて熱中できるという意味での「楽しさ」を持てていなかったことに気づきました。 中間発表までの卒論にしろ、この前参加したハッカソンにしろ、これは自分が本当にやり遂げるべき仕事ではないという感覚をどこかで抱いていました。

プログラミングが楽しいと自信を持って言えなくなりつつあり、プログラミングの対象も楽しめていないのならば、「楽しめることをして生きる」という方針だと、プログラミングで生計を立てようとすることにいずれ無理が生じるだろうと思うようになり、苦悩が生じました。

私にとってのプログラミングの楽しさとは

プログラミングの楽しさがどこから来ていたのかを振り返ってみました。 するとプログラミング自体よりも、プログラミングを通して問題を解決することに楽しさを見出していたのではないか、と思うようになりました。

プログラミングを楽しいと感じたきっかけとしては、PC1台さえあれば自分の好きなモノが作れるということもさることながら、独学したての頃に競技プログラミングにハマったことも挙げられます。

また4年弱のプログラミング経験を振り返ると、自分の創造力を働かせてユニークなものを作るよりも、身の回りの不便なことを解決するものであったり、チャレンジングな課題に挑戦することの方により楽しんで取り組んでいたように思います。

その時点ではできなかったことを、プログラミングによってできるようにするという、問題解決プロセスにこそ私は楽しさを感じていたのでしょう。

どう生きようと思うか

自分が楽しいと感じることは「プログラミングによる問題解決」だとわかった今、次なる問題は、解決すべき問題は何かということです。 今回の悩みの原因になった、プログラミングの対象に情熱を持てていないということとも直接関係してくる問題です。

妥当な考えとしては、自分が解決することに情熱を持てて、かつ、それによって生計を立てるためには、社会的にも解決することに価値があるような問題なのでしょう。

「楽しいことをして生きる」という生き方の下、自分が情熱を持てる問題をプログラミングによって解決すること。 それが現時点で私が考える人生の生き方です。