橘玲『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

橘玲氏の著書では『亜玖夢博士の経済入門』を読んだことがあり、著者名とタイトルに興味を惹かれて購入し、1日で読了。始めから終わりまで読みやすい調子で、内容も興味を引くものが多かった。
読み終えてすぐの感想は、本書の結論の一部である「『好き』を仕事にするために、収益化の仕組みを自分で設計する」ということと、僕が半年ほど前から考えるようになった人生の指針のようなものが酷似していて、とても驚いたということだ。それもそのはず僕がこのような考えに至ったのは、梅田望夫氏の著書を読んだのがきっかけであり、本書もそれらを参考にしているというのであれば、似ていたのも納得できる。

本書の結論は次のようなものである。

伽藍を捨ててバザールへ向かえ。
恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。

参加者が他参加者からの悪評を避け、他参加者に悪評を押し付ける仕組みを持つ閉鎖的な空間(伽藍)から脱出する。そして、一度付けられた悪評をリセットして自分を高く評価してくれる場所に移動可能な、参入撤退の自由な市場(バザール)でポジティブな評価を獲得することに力を注ぐ。

ロングデール(恐竜の尻尾)の世界において、自分の「好き」というニッチ市場でショートヘッド(頭)を目指すとともに、収益化の仕組みを自分で設計する。


本書を読んだ限りでは真偽の程を判断しかねる記述もあったが、全体としては納得のできる内容だった。1点だけ気になったところがあるので、挙げておこうと思う。


本書によれば、能力は生得的・遺伝的に異なっており、子供時代に子供の集団の中で最も目立てる能力を伸ばすことに力を注ぐので(これが好き嫌いを生む)、後天的にも違いが生じる。
しかし、労働市場で高く評価されるのは一部の能力(本書ではガードナーの説に基づいて、言語的知能及び論理数学的知能)であり、その能力が劣っている人は高い評価を得られない。リカードの比較優位の理論によれば、労働市場で高く評価されなくても自国内では仕事を得ることができるのであるが、労働市場のグローバル化がそれを阻む。
ここで労働市場が能力を判断材料にしていることを批判することはできない。というのも、能力は後天的で無限に成長可能とみなされ、先天的な要素による評価は差別となり道義的に正しくなく、また評価基準なしには比較優位の理論に基づいて経済効率性を高めることは出来ないからである。
そのため、労働市場で高く評価される能力が低い人には、その能力を向上させる圧力がかかるのである。
ここにおいて、本書では能力の無限の成長可能性を否定している。労働市場で高く評価されない人は、(子供時代を過ぎていては)今更市場で高く評価される能力を伸ばすことができない(あるいは難しい)。なのでこのような人は、好きなこと、すなわち能力の高いことに専門性を持たせて仕事にし、ある集団の中で評価を得て生き延びるしか無い。市場の多様性の中では、好きなことは大きな成功はないにせよ仕事として成り立つのである。


この主張は、自己啓発をしても能力があまり向上せず苦しんでいる人への処方箋にはなるだろうが、好きなことである(あるいはやりがいがある)という理由で低賃金労働を強いられている人への処方箋にはならない。本書の最後では、収益化の仕組みを設計しろとあるが、その材料としてWeb2.0的な新世代のサービスが述べられているだけで、その具体策は各人に委ねられている。もちろん解決策を考えるのは難しいが、なんとも残酷なのだろうかと思ってしまった。どちらかというと後者への処方箋を期待して本書を読んでみたのだが、期待していたことはあまり書かれておらず少し残念だった。